東京生まれ、シンガポール育ちのシンガーソングライター。
5才からクラシック・ピアノ、16才から声楽を学習。
幼少の頃には、ミツカンドレッシングTVCMモデルや
シンガポール航空キャンペーンガール等、子供モデルとしても活躍。
大学卒業後、鈴木陸央ヴォーカル・スクールにて、
ジャズ、音楽理論を学ぶ。
1997年プロデビュー後は東京とシンガポールのジャズクラブや
ライブハウスを中心に活動を行い、情感溢れる歌声と抜群のリズム感で、
内外のミュージシャンに高い評価を得る。
2000年より自己のバックグラウンドを生かした音楽づくりに目覚め、
幼少の頃に覚えたマレー語や中国語の伝統曲をアレンジ、オリジナル曲の制作も開始。
初のオリジナル・ライブを2001年12月、シンガポール・JASオーディトリアムにて行い、
大成功を収める。
2003年12月には、1st アルバム"sachiyo sings singapore"をリリース。
多民族の国で培われた独特な感性。
英語・中国語・マレー語・日本語の4カ国語で綴られた歌詞。
ジャズ、ボサノバ、ポップス、エスニックなどジャンルも多岐に渡り、
これまでにない新しいアジア音楽の誕生と、各方面から注目を集める。
"sachiyo sings singapore"の評判により、過去4度に渡る在京シンガポール大使館公演や、
愛地球博・シンガポールパビリオンにおけるライブ・パフォーマンス、
また自らプロデュースするシンガポールフード・ファッション・音楽の
コラボレーションイベント"Singapore Festival"を4度開催し、
日本とシンガポールの文化交流事業も積極的に行っている。
2006年10月、待望の2nd アルバム"Rojak"をリリース。
東京、函館、名古屋、福岡の4都市で、発売記念ライブを開催し、大成功を収める。
2006年7月~2007年9月まで、Inter FM(76.1)にてシンガポールの
ミックスカルチャーの魅力を紹介するラジオ番組"Rojak Rojak"のナビゲーターを務め、
ユニークな企画内容と選曲で好評を博す。
2007年11月、歌手活動10周年を迎え、その記念ライブを初の全編ピアノ弾き語りにて開催。
2009年4月、活動拠点をシンガポールに移す。
2009年12月には、在シンガポール日本国大使館より指名され、
「天皇誕生日及び即位20周年祝賀レセプション」において、シンガポール、日本、両国国歌独唱を行う。
2011年1月、シンガポールのトップミュージシャンと共に制作した全編英語アルバム
"My Life, My Songs"をシンガポールにて発売。
同月、デビューコンサートをシンガポールを代表する総合芸術文化施設、
Esplanade Recital Studioで開催する。
チャリティー活動にも積極的に取り組んでおり、
2004年スマトラ沖大地震・インド洋大津波の被災者に捧げる曲「波~Semua habis~」を
作詞、作曲、プロデュースし、被災地支援募金コンサートを東京で開催。
2011年東日本大震災に際しても、被災者に捧げる曲「A Song of Life」を
作詞、作曲、プロデュースし、シンガポールの音楽業界の協力を得てCD化、
CDとダウンロード販売から得た収益金を義援金として被災地に寄付する。
自身主催のシンガポール日本人会チャリティー・コンサートを含め、
シンガポールで開催された多くの日本復興支援イベントに出演。
シンガポール唯一の日本人シンガーソングラターとして大きな役割を果たす。
2011年12月には仙台市3カ所において、シンガポールのトップミュージシャンと共に
シンガポールからは初となる被災地における復興支援コンサート
"Songs from Singapore to Tohoku"を開催。
2012年3月、震災1周年を追悼するチャリティーコンサートをプロデュース、
シンガポールの報道局Channel News Asiaの追悼特別TV番組に生出演し、
全アジアで放送される。
国際的に活動するシンガーソングライターとして、日本とシンガポールの音楽親善大使として、
今後の活躍が期待されている。
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