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2009年08月07日

言葉は心

私は「言葉」に敏感です。
これはたくさんの言語に囲まれて育ち、
「言葉」の問題を意識する事が多かったからではないかと思っています。

人は言葉によって傷つき、言葉によって救われる事が多々あります。
一般的な価値観以外に、その人の考え方や立場によって、
好きな言葉や嫌いな言葉も生まれたりするから、やっかいです。

一般的には普通に使われているけれど、私にはどうしても、
瞬間的にびくっとしてしまう言葉があります。
それは、「外人」と「ハーフ」という言葉です。

「外人」という言葉は、日本に帰国した時に、私はよく言われました。
差別的なニュアンスを含んで使われた事が多かったので、
どうしてもこの言葉が好きになれませんでした。
「外人」と「外国人」では、天と地くらい、意味合いが違うのですが、
日本では混同して使われています。
今では、外国人タレントの方が、テレビで「私達、外人は...」などと言う事もあり、
私は「う〜む。」と思ったりします。

大抵は、聞き流すようにしていますが、実は心の中ではびくっとしています。
本音を言える近い関係の人には、「ごめん、外人ではなくて外国人と言って。」と
言って来たので、今は、あまり言われなくなりましたが...。

もう一つの言葉は「ハーフ」。
これもまた帰国した時によく言われました。
私は両親共に日本人なので、そうではないのですが、
子供の頃は極端に髪が茶色く、日本語の発音が日本人らしくなかったようで、
「ハーフの方ですか?」とよく聞かれました。

「ハーフ」は、和製英語です。
元々の単語の意味合いを考えると「半人前」という事になり、
「一人前の人間ではない」というニュアンスをもってしまうので、
私は「ハーフの方ですか?」と聞かれると、
何となく「半人前ではないわよ」と思ってしまうのです。

英語では"half Japanese, half American"(ただ"half"だけとは意味が違います)とか、
"double"とか"mixed"という言い方をします。
この"mixed"という言葉も「混血」とか「雑種」という、
微妙な意味を持つ場合があるので、私は「ダブル」という言葉を使うようにしています。
「半分」ではなく「二倍の世界を知る事が出来る素晴らしい環境の人」なのですから。

ただ、日本ではあまり一般的に知られている言い方ではないので、
私は「ダブルの人、いわゆるハーフの人ね...」などと、
まわりくどい説明をしたりしていました。
面倒くさい事かもしれませんが、こういう意識は大事ではないかと私は思うのです。

これまでお父さんとお母さんが人種や国籍が違う方と知り合った時に、
「ダブルの方なんですね。」と私が言うと、
100%の確立で「そういう言い方をしてくれて、ありがとう。」と言われました。
後になって「sachiyoはダブルと言ってくれたから、嬉しかった。」とも
言われた事もあります。
つまりダブルの方達は、「ハーフ」と呼ばれると同時に、
それに付随する差別的な事も受けているので、この言葉が嫌いなのです。

英語と日本語の表現方法だけではなく、日本語の中だけでも問題に思う事があります。
最近、多用されている言葉に「できちゃった結婚」という言葉があります。
テレビを見ていると、今はご本人も「はい、できちゃった結婚です!」などと
明るく言ったりしているので、びっくりしてしまいます。

結婚前に、赤ちゃんを授かる事は、場合によってはあるかもしれません。
でも、それを本人自ら言ってしまって、
後でお子さんが聞いたらどう思うだろうと、私は思ってしまうのです。
なぜなら「できちゃった結婚」という言葉には、
「お父さんとお母さんは、結婚するつもりはなかった。
でもあなたが出来てしまったから、仕方なく結婚した。」
という意味が含まれていると思うからです。

「そういう意味合いで言ってはいない」とか「考え過ぎ」と言う人もいるかもしれません。
でも私は、それは想像力が足りない、言葉を大事に使っていないと思うのです。

言葉は、その人の考え方や想いが反映されます。人間性が出ます。
「相手がどう思うか」という想像力を働かせて言葉を選ぶ事は、
「思いやり」に通じると思うのです。
だからこそ私は大事に使いたいと思います。

シンガポールの独立記念日や、日本の終戦記念日が近づいて来て、
なぜか私はこういう事を考えました。